เข้าสู่ระบบ白い息が、夜の路地に溶けていく。
冬の施しの列がようやく途切れて、私は空になった大釜から手を離した。指先は痺れ、足先の感覚も薄い。
「本日の分は以上です。みなさん、ゆっくり温まってくださいね」
そう告げると、毛布を抱えた人々が、何度も頭を下げながら夜の路地に散っていった。
今日もなんとか、誰も凍え死なせずに済んだ。
そう思いかけて、私は昨日までの自分の言葉を思い出す。
『前の世界と、何が違うんだろう。
少なくとも今は、誰も死んでいない』その自己暗示を、また口にするのはやめた。今は、まだ。ここまでは。
「片付けが終わった者から寮に戻りなさい。明日も奉仕はある」
担当神官の声に、見習いたちが一斉に「はい」と答える。
「聖女様、本日もお疲れさまでした」
荷車を押していた見習いの少女が、目の下に薄い影を浮かべたまま、笑顔で頭を下げた。今日もずっと動き回っていた子だ。
この子は、本当によく頑張っている。前の世界でも、こういう子を止めきれなかったなと苦く思う。
神殿へ戻る廊下は静かで、塔の鐘ももう鳴りやんでいた。
◇
神殿の廊下に入ると、ほとんどの部屋は暗い。夜番の神官が数人、静かに歩き回っているだけだ。
その中で、奥の一室だけが、まだ暖かな光を漏らしていた。
「……誰か、残っている?」
扉の隙間から覗くと、毛布を畳む小さな背中が見える。さきほどの見習い聖女の子だった。
部屋の中には、今日配った毛布の山、救済対象の名簿、洗い場へ運ぶ前の器の塔。誰の担当とも書かれていない雑務が、床いっぱいに散らばっている。
「こんな時間まで残っていたんですか」
扉を軽く叩いて声をかけると、少女はびくっと振り向き、慌てて頭を下げた。
「せ、聖女様! すみません、もうすぐ終わります!」
立ち上がろうとして足元の毛布に引っかかり、よろける。私はあわてて部屋に入り、机に手をついて彼女を支えた。
「転びますよ。大丈夫ですか」
「だ、大丈夫です。えっと……私が片付けておけば、明日の聖女様のお仕事が、少しは楽かなと思って」
少女は、少し誇らしげに笑う。手元の紙には、拙い字で人々の名前が並んでいた。
胸の奥が、ちくりと痛む。
「手伝ってくれるのは、本当に助かります。でも、明日も奉仕がありますから。もう休んでもいい時間ですよ」
私はできるだけ優しく声をかけ、帰るよう促した。
少女は、首を横に振る。
「大丈夫です。聖女様の方が、ずっとお疲れですから。私たち見習いが、少しでも負担を減らさないと」
模範解答だった。
前の世界で聞いた言葉が、頭の中でよみがえる。
『若いうちは頑張りどき』
『先輩の負担を減らそうな』笑いながら言われて、笑いながら受け入れて、そのまま終電を逃した夜。
「本当に辛くなったら、ちゃんと断っていいんですよ。奉仕も、勉強も。断るのも、立派な判断です」
私がそう言うと、少女は目を潤ませて、ぱっと顔を明るくする。
「聖女様がそんなこと言ってくれるから、もっと頑張ろうって思えるんです」
全力で逆効果だった。それでも私は、笑みを崩さない。
「本当に、ただ……」
少女は、毛布の山を抱え直しながら、改めてこちらを見上げた。
「聖女様の負担を減らしたくて、やってるだけなんです」
まっすぐな瞳だった。曇りのない、善意だけでできたような目。
その透明さが、少し怖い。
『聖女の負担を減らしたくて』
祝福の文句みたいに、その言葉が耳にこびりつく。
「……ありがとう。今日はもう遅いですから、片付けたら必ず休んでくださいね」
そう言うのが限界だった。ここで「もうやめなさい」と線を引く強さは、まだ持っていない。
部屋をあとにして、私は廊下に出る。冷えた石の床が、靴底ごしに熱を奪っていく。
そのとき、背後の部屋から、金属と陶器が混じったような音が響いた。
ガシャン。
反射的に振り返り、扉を開ける。
さっきまで毛布の山を抱えていた少女が、その山ごと床に崩れ落ちていた。器が割れ、毛布がばらまかれ、その真ん中に、細い体が沈んでいる。
「っ……!」
私は駆け寄り、毛布と器をどかした。少女の顔色は不自然なほど青白い。
「聞こえますか。しっかり」
手首に触れると、脈は速いのに不規則だった。とっさに祝福で体温だけでも整えようと、祈りの言葉を紡ぐ。
「誰か! 誰か来てください!」
廊下に声を張り上げると、巡回中の神官が駆け寄ってきた。
「またか……」
漏れたひと言は、驚きよりも、疲れたため息に近い。
「医師を呼んできます。聖女様、その子の頭を少し高く」
神官は毛布を丸めて枕を作り、私に託してから走り去っていく。少しして、夜番の医師と神官たちがばたばたと集まってきた。
「脱水と過労でしょう。冬の施しのあとには、よくあることです」
医師は淡々と脈を測り、瞼を持ち上げ、短く診断を下す。
よくあること、という言葉が耳の奥で鈍く響いた。
「よく……ある、こと?」
思わず繰り返すと、古参神官が気休めのように笑う。
「ええ。皆、聖女様のお役に立ちたくて張り切りますからな。本人も誇りに思っているでしょう。聖職者に休息は要らぬのです、奉仕ですから」
それは、この前の会議で聞いたやりがいポエムと、同じ文句だった。
聖女の負担を減らしたくて。
奉仕だから。
その一言で、どこまでを許すつもりなのだろう。
少女は担架に移され、慣れた手つきで医務室へ運ばれていく。通り過ぎる担架の上で、彼女の指が空をさまよった。
私は、その手に触れられなかった。
よくあること。
誰も、それを数えようとしない。
前任聖女が過労で倒れたという噂も、きっと同じ言葉で片付けられたのだろう。
◇
見習いが運ばれていったあと、私はひとりで本堂に戻った。高い天井の契約文様が、淡く光を返している。
祭壇の前に立つと、今日一日の契約の記録が、薄い光の板となって浮かび上がった。冬の施し、列に並んだ人々の名前、小さな祝福契約の数々。
そこに、「倒れた見習い」の名前はない。
「少なくとも今は、誰も死んでいない」
さっきまで自分を落ち着かせるために繰り返していた言葉を、口の中で転がす。
今はもう、何の役にも立たない。
誰も死んでいないから大丈夫、なんて。誰かが倒れてからでは遅いのに。
《見ましたよ、あの子。聖女のための奉仕という名目で、自分の命をちょっとずつ削っていましたね》
女神の声が、頭の中に落ちてくる。
《あれ、祝福じゃなくて、ほとんど呪いです。いい子ほど、よく効くタイプの》
「そんな言い方……」
思わず反発しかけて、言葉が喉で止まる。さっきの少女のまっすぐな瞳が浮かんだ。
聖女様の負担を減らしたくて。
彼女は心からそう思っていた。
それでも、その善意が命を削っているのなら、それを祝福と呼ぶのは、きっと間違っている。
握り締めていた拳を、私はゆっくり開いた。震える指先に、祭壇の光が落ちる。
「……女神様」
《はい》
「この神殿から、あの子たちを逃がす契約って、作れるんでしょうか。私自身も含めて」
自分で口にして、心臓が跳ねた。聖女が神殿から逃げるなんて、冗談にもならないのに。
女神は、少しだけ間を置いてから答える。
《作れますよ》
あまりにあっさりしていて、私は思わず顔を上げた。
《ただ、神殿の就業規則をちまちま直すだけでは足りません。そもそもの世界側の契約から、手をつける必要があります》
「世界側の契約……」
《この国の聖女や神官の働き方を決めている大きな条文です。根っこがそのままなら、同じような呪いはいくらでも生えてきます》
《まずは、逃げ道をちゃんと定義しましょう。逃げるための契約は、立派な契約です》
逃げるための契約。
その言葉を噛みしめると、胸の奥で何かが音を立ててひび割れた。
少なくとも誰も死んでいない、と自分をなだめ続けてきた言い訳の殻が、崩れ落ちていく感覚。
この夜、私は初めて、本気で「逃げるための契約」を欲しいと思った。
そしてその願いが、後に世界契約そのものを書き換える条文になることを、このときの私はまだ知らない。
その朝、私は久しぶりに「計画通り」という言葉を信じていた。 公正契約大神殿の相談受付ホール。掲示板には、女神の羽ペンで書き換えられた新しい勤務表が貼られている。夜間対応は原則なし、臨時は申請制、休養日は確保。たった数行なのに、呼吸が軽い。「聖女様、本日の予約は……え、ええと、ちゃんと昼に収まってます!」 ティオが書類束を抱えたまま笑う。「うん。奇跡だね」「奇跡って言わないでくださいよ! 僕が昨夜、全部組み替えたんですから!」 そこへ、外がざわりとした。 駆け込んできた伝令の神官が、息を切らして言う。「隣国ウェルナの辺境で、原因不明の熱病が流行している、との噂が……! 旅の商人が……」 噂。たったそれだけの言葉で、前世の記憶が喉の奥に蘇る。増える数字、鳴りやまない連絡。 背筋が冷えた私の隣で、ティオは青ざめて未来を先に見てしまう。「患者の流入や難民が来たら……神殿の祝福、追いつきません……!」「まずは落ち着こう。正規の報告が来てから」 そう言ってくれたのは、いつの間にかホールに現れていたセルジュさんだった。黒い外套の裾が揺れて、空気がきゅっと締まる。 そして、締まった空気はそのまま、面倒の形に固まって運ばれてきた。「聖女殿! 緊急だ! 緊急事態だぞ!」 王都の有力貴族の集団。顔見知りの「祝福常連」たちが、これでもかと香水を漂わせて押し寄せる。 代表の男は、隣の者の肩を叩きながら大仰に宣言した。「疫病がこちらへ広がる前に、我が家の者たちの健康と屋敷を、夜通しかけて徹底的に祝福していただきたい!」 家の者と屋敷、事業所、夜通し。噂の段階で、まず自分たちを先に守れ、と。 ティオが胸に抱えた新フォーマットの紙が、心細そうに震えている。「え、ええと……夜間の祝福は、事前申請と緊急度の確認が必要に…
会議室の真ん中に浮かぶ光の板は、昨日のまま真っ赤だった。 祝福件数、相談件数、予定外対応、書類、移動。全部が「限界です」と叫んでいる。「……やっぱり、何度見ても、えげつないですね」 ティオが喉を鳴らす。「えげつない、で済ませるのは優しいですね」 セルジュは淡々と線を引き続けていた。いつもの丁寧な声。でも、ペン先がほんの少しだけ揺れている。 大神官長アグナスは、椅子に座ったまま沈黙していた。やがて彼は目を閉じ、ぽつりと呟く。「……似たような数字を、昔、1度見たことがある」 空気が少しだけ冷える。「10数年前、私がまだ若輩だったころ……仕えていた聖女がいた」 アグナスは自嘲気味に笑った。 「優しい方でな。誰も断らず、誰よりも早起きで、誰よりも遅くまで祈った。……そして、ある日倒れ、そのまま戻らなかった」 ティオが「そんな……」と声を漏らす。私は唇を噛んだ。数字が急に「人」になる。「当時の我々は言ったのだ。『聖女の奉仕は神意であり、止めるのは畏れ多い』と」 アグナスの指が、赤い棒グラフの頂点をなぞる。 「……神意を盾にして守っていたのは、聖女ではなく、私たちの責任の方だったのだろう」 胸の奥に、前世の空気がふっと刺さった。 『トップの号令だから』『会社のためだから』。便利な免罪符。誰かが倒れても、誰も自分の名前で止めないやつ。 アグナスが立ち上がり、私の前で膝をつきかけた。 「や、やめてください!」 私は慌てて立ち上がる。 それでもアグナスは深く頭を垂れた。 「リディア殿。私は、君の前任者を守れなかった。そして、君の契約書に手を入れることを、神意と前例のせいにして避けてきた」 言葉が重い。慰めるべきか迷って、でも私は、契約で守る側だと思い直す。「……過去は変えられません」 私はゆっくり息を吐いた。 「でも、『今からの前例』なら、私たちで作れます。頭を上げてください。責任者には、責任者の仕事をしてもらわないと困ります」
夜明け前の大神殿は、石の床まで眠そうな顔をしている。私が祈祷室へ向かう回廊の窓には、まだ朝の色が薄い。 そこへ、足音がきっちりと等間隔で重なった。「おはようございます、聖女殿。本日一日、業務量を記録します。……差し支えない範囲で」 セルジュさんは書類バインダーを抱え、もう片方の手には、妙に立派な砂時計を持っていた。 砂時計。神殿で? と口の中でつぶやく前に、ティオがわなわな震えながら叫ぶ。「さ、砂時計まで用意してるんですか!? 宰相補佐さま、そこまで本気なんですか!」「記録は武器ですから」 淡々と言い切るのが、また怖い。私は苦笑して肩をすくめた。「差し支えない範囲がどこまでかは、業務の後で一緒に考えましょう。たぶん、今日一日で境界線が消えます」「承知しました。消えた境界線は、条文で引き直します」 頼もしさと同時に、背筋が寒いほどの宣言だった。 ◇ 聖女執務室に入った瞬間、ティオが今日の予定表を広げる。 赤。赤。赤。余白のはずの紙が、血のような赤で埋まっている。「午前は貴族家の家族祈願、午後は神殿幹部用の祝福、その合間に定例相談が……」「その合間がもう合間じゃないね」「はい……え?」 ティオが顔を上げたところで、扉が叩かれる。叩かれる、というより、叩き続けられる。「聖女様! 妻が今朝から咳が止まらず」「聖女様! 旅の一行が通りがかったついでに祝福を!」「聖女様! うちの息子の試験が今日で、念のため!」 雪崩だ。予定表が紙一枚で受け止められる量じゃない。 ティオは半泣きで私を見た。「聖女さま、今日も予定外が山ほど……」「予定外が常態化しているなら、それはもう予定ですね」「言い方が冷たい!」 ツッコミながらも、セルジュさんが小さく笑った。笑うと、余計に怖い。
翌朝、王宮の小会議室は寝不足の匂いがした。 窓の外には、まだ薄く、空に残像みたいな神託文字が漂っている。昨日、大聖堂の天井いっぱいに現れたあの一文。 【聖女労働契約:重大違反を検出】 あれを見た瞬間のざわめきが、今も壁に染みついている気がした。「聖女殿。こちらへ」 呼ばれた席は、なぜか末席寄り。形式上、私は当事者で、原因でもあるらしい。 テーブルの上には巻物が山。重い。前例という名の重石が、こうして物理で置かれる世界だ。 グスタフ王は額を押さえ、クロード宰相は咳払いで時間を稼ぎ、大神官長アグナスは硬い笑みを貼りつけている。 セルジュだけが、いつも通りの無表情で私の隣に立っていた。目が合うと、ほんの少しだけ、安心したようにまぶたが緩む。「まずは状況整理を――」 宰相が口を開いた、その瞬間。天井が白く瞬いた。 ドン。 落ちてきたのは光ではなく、分厚い本だった。机が震え、インクの匂いが立つ。 表紙に、黒々と刻まれている。 『聖女奉仕契約(現行版)』 室内が凍った。 そして、頭の中にだけ、あのゆるい声が響く。『原本、持ってきました。前世のシステムで言うと仕様書ですね』「……女神、さま」 アグナスが反射でひれ伏した。慣れた動きが、むしろ痛々しい。 王が椅子から半歩だけ立ち上がり、すぐに座り直した。王様でも神相手だと挙動が忙しい。『昨日の稼働停止、あれは嫌がらせじゃなくて安全装置です。今日は原因究明。はい、会議、続けてどうぞ』 女神はさらっと丸投げしてくる。私は喉の奥で、笑いかけた息を飲み込んだ。笑えない仕様書が来たからだ。「セルジュ、読み上げを」 王の命令に、セルジュが一歩前へ出る。 彼がページをめくった瞬間、黒インクの文字がじわり、と滲んだ。 まるで紙が汗をかくみたいに。「第12条。聖女は疲労を理由に祝福を拒否できない」 言葉が落ちるたび、文字の周りから黒い煙のようなものが立ち上る。
公正契約大神殿の大聖堂は、どう見ても巨大な契約書だ。 柱にも天井にも条文が刻まれ、その真ん中で私だけが、生身のまま立っている。(やばい、立ったまま寝る……) 昨夜から祈願と相談と書類確認を詰め込まれ、仮眠もろくに取れていない。 そこへ「どうしても今日でないと困るんです」という有力貴族の結婚式がねじ込まれて、私の稼働ログは朝から真っ赤だった。「聖女リディア様、準備を」 補助神官の声。少し後ろでは、若手書記官ティオが紙束を握りしめて震えている。「し、聖女様……式のあとに『予定外祈願』が3件……」「聞かなかったことにしようか。今は目の前の式だけ」「す、すみません……!」 祭壇の前には新郎新婦、客席にはぎっしりと上流階級。 その視線を感じながら、私は深呼吸をした。《本日の稼働時間、すでに推奨上限の1.5倍ですねえ》 頭の奥で、軽い声が笑う。 公正契約の女神。私の庇護神であり、この世界で一番ログにうるさい存在だ。(女神様、実況は後にしてください)《いえいえ、ログは積み重ねてなんぼですから》 儀式はクライマックスへ進む。「では、公正契約の女神の祝福を——」 大神官長アグナスの声に合わせ、私は両手を掲げた。 契約書レイアウトの魔法陣が光を増し、新郎新婦の足元から淡い金色の光が立ち上がる。(ここでコケたら、式が台無し……) 焦りと眠気で視界が揺れた、その瞬間。《はい、そこまで》 女神の声が、いつもより低く落ちた。《これ以上ログを積んだら、あなたも世界契約もまとめて過労死コースなので、止めます》(世界契約まで過労死は嫌ですね……)《ですよね。では、強制停止》 祝福の光が「ブツッ」
西の空が赤紫に沈みかけていた。 契約大橋の石畳には、紙吹雪と花びらの残骸が、湿った色のまま張りついている。さっきまで祝祭だった場所が、今は片付け途中の舞台みたいに静かだ。 遠くの広場からは、まだ人々の声が風に乗って届いてくる。 断片的な噂と、屋台を畳む音が、まだ風に乗って届く。今日一日で「契約」という単語を何度聞いたか分からない。 橋のたもとに立つ私の隣で、低い声がする。「本日の移動経路は、簡易支援契約第3条に基づき、私と護衛隊がご一緒します」 礼服から簡素な外套に着替えたセルジュ様が、いつもの事務的な口調で告げた。少し後ろには、女性騎士と平服の護衛が数名。「……私を一人にしない、条文でしたね」 さっき署名したばかりの文言を、私は口の中でなぞる。 聖女の安全確保のため、原則として単独移動を禁止する。 最低限と呼ぶには、少しばかり手厚い内容だ。(最低限の意味、やっぱりおかしい) 心の中だけでツッコミを入れる。《リディア、稼働状況の確認です》 女神様の声が頭の奥に降ってきた。《本日の精神負荷、平常時比でおよそ5倍。歩行可能ですが、急なイベントは控えましょう》「診断がざっくりしています」 足元を見ると、石畳の一部に古い文字が刻まれている。国と神殿の条文が、何十年も前からここにあるのだろう。夕焼けを受けて、その一行一行がうっすらと光っていた。《契約大橋は、もともと国と神殿の約束を刻んだ場所です。 最近は、個人のログも、少しずつここを通るようになりましたが》「私の三年間分のログも、今日ここを通ったんでしょうか」《ええ。ブラック寄りのやつが、どっさり》 背筋に、ひやりとしたものが走る。 国のため。王家のため。誰かのため。 その言葉で塗りつぶしてきた三年間が、光の粒になって橋の下へ流れていったところを想像してしまう。「……行きましょう」







